ディヴァインソウルプログラムの説明
惟神(かんながら)の道を実現する真の悟りへのステップ人生の目的とはなんでしょうか?
自分の願望や夢を叶えることでしょうか?
健康で愛に溢れた人生を生きることでしょうか?
仕事で大成功を収めることでしょうか?
もちろんそれらのことも大切です。ですが、幾らこうした願望をすべて叶えたとしても、本当に人生に満足してこの世界を去ることができるでしょうか?
ディヴァインソウルとは神の魂(子)という意味です。
人は皆その奥底に神と同じ神聖な魂を持ってこの世界に生まれて来ました。
悟りとは自分自身が神の子であるということを知ることを意味します。
そして、人生の究極の目的は自分が神の子であることを知り、そして、多くの人を助ける事です。もし、それらの使命を果たすことがなければどんな成功を収めても人はまたこの世界に生まれて来ることになります。
ディヴァインソウルプログラムは私が30年以上に渡り学んで来た瞑想法と古代インドの聖者の知識ヴェーダを使って、真の悟りと人生の真の目的を達成するために必要な知識と方法を教えるプログラムです。
ディヴァインソウルプログラムは2つのステップで構成されています。
1つめ目はフリダヤ瞑想という簡単にサマディと呼ばれる深い瞑想の境地を経験可能な瞑想法を通し、心身の浄化と神を受け入れるための土台作り、人生を生きる上で必要な基盤となる愛、富、智慧、そして神聖さ等の獲得とより高次の意識の発達を促します。
またこの瞑想法の実習過程において、古代インドの聖者の知識を学ぶ上で必要な心構え、神との関わり方、日常において必要な考え方等も教えます。これらの知識が瞑想の体験と一緒になり、次のステップのサダナ(霊性修行)の土台となります。
2つめのステップは魂の為に行うプログラムです。そしてディヴァインソウルプログラムの核となるものです。
30年近くに渡り私は瞑想を自らも実践してきました。そして数年前からは本格的にインドの聖者の知識を学ぶようになりました。
その中で分かってきたことはどんなに優れた瞑想法であってもそれだけでは真の悟りや本当の人生の目的や使命を知り、それを達成することは出来ないという結論に達しました。
それはどんな瞑想でも同じで、幾ら瞑想だけしていても本当の覚醒は起こりえません。幾ら沢山のマントラを伝授しても、長い間瞑想を繰り返してもそれだけでは人の本当の目覚めは起こりません。
理由はこの時代の特性に因るところが大きいと言えます。そもそも瞑想法とはサティユガと呼ばれたとても神聖なエネルギーが世界を覆っていた古代に生まれたテクニックです。その時代においては個人はただ瞑想さえして自己の内的な浄化にさえ励めば誰でも悟りを得ることが可能でした。
ですが、今の時代はカリユガと呼ばれるとても大きなカルマと汚濁にまみれた世界です。このカリユガの時代の特性は神と人との間に完全な分離を生み出すというものです。私という個人の人格意識がとても強くなり、神という全体性を感じることができなくなっています。
また、この時代においてはマヤ(幻想)がすべての領域に満ちていて本当の真実を見ることが出来ない時代です。 その為に、たとえ個人が幾ら瞑想をして自己の浄化に努めても簡単に時代が足を引っ張ります。自分の中を空っぽにして精妙な意識を経験しても、一歩外に出れば汚れた空気を吸っただけでその人の意識はマヤにより完全に真実を見失います。
その為幾らどれだけ瞑想しても恒久的な高次の意識、悟りの意識を保ってこの日常を生きることは不可能です。その為、この時代において真の聖者と呼ばれる覚者達は下界の汚れから隔絶したヒマラヤの奥地や、人知れぬ洞窟の中に隠遁しています。
それは時代のマイナスのエネルギーから自らを守る為です。 では、私たちはこの日常を生きながら真の悟りを得ることはできないのでしょうか?いいえ、そんなことはありません。
その為にサダナ(霊性修行)という真の悟りを得るための知識と方法を教えている聖者もこの時代にはいます。こうした聖者達は神の知識をわざわざ私たちの為に教える為にこの時代に肉体を持って現れています。
この方達の知識を通して多くのことを学ぶことでこのカリユガの時代でも真の悟りを得ることが可能になります。

では、そのサダナの知識とはどういうものかというと、それは神への信仰が唯一このカリユガの時代においては人の意識を真の悟りへと導くというものです。
信仰というとなんらかの宗教と思われる人もいるかもしれませんが、信仰とは何々教という宗派にかかわらず、純粋に神に祈りを捧げる態度の事を言います。そして、神を祭り、神を讃えることが信仰です。何故、神を讃える必要があるのか?理由は神のみがこのカリユガの時代においては人々の意識をマヤ(幻想)から引き上げて、悟りへと導く力を持っているからです。
サダナ(霊性修行)とは魂を神へと引き合わせる為に必要な一連の行やまたその為の知識を学ぶことを言います。このサダナを通して人は神の恩恵(シャクティ)を得ることで初めてカリユガの特性から自由になり、真の悟りを得られます。
ディヴァインソウルプログラムの2つめのステップはこのサダナの知識や方法を学ぶと共に、神への祈りというスタイルを冥想の形にアレンジしたディヴァイン・シャクティ冥想を実習していきます。
そうすることで日常的に神との繋がりが強まり、結果、シャクティと呼ばれる神の恩恵によって実習者の意識と人生は飛躍的な向上を達成します。これはフリダヤ瞑想だけをずっと行っていた時とは 比べものにならないくらいの変化と強さを手にします。
瞑想法はどんなテクニックでも素晴らしいものがありますが、ただ瞑想だけで意識の変容が得られても、時代のもつカルマの力の前ではとても脆弱です。その為に自分が得た瞑想の体験が素晴らしいものであればあるほどそれを日常でもずっと保持し、いつでもその純粋さを持って生きるためには神の加護が必要不可欠です。
カリユガのマヤから守って貰う為には神の力が必要です。 これら2つのステップを通して人は真の悟りの体験と人を助けるという人生の真の目的を見いだすことが可能になります。
ディヴァイン・シャクティ冥想は自己を神へと強く結びつけてくれる祈りの冥想です。そしてその結果、神からの沢山の恩恵が得られます。そしてその恩恵により自分だけではなくて、多くの人を癒すヒーリングの能力も向上します。 人生の究極の目的はこの人生で神を発見することです。魂はその為にこの生を生きています。
日本では神と人が一つになって歩く道を惟神(カンナガラ)の道と言います。神の声を聞き、神の計らいを知り、それに沿った人生を生きる道、それが人の真の姿です。
闇雲に自分の願望や目的を達成することが人の幸せに繋がることはありません。それはただ自分のエゴ(自我)の欲望を満足させているだけです。人は惟神の道を歩くようになって初めて自分の魂の目的を知ります。そして魂の欲望を叶えてあげることが私たちの最終目標です。
そしてそれが叶えられた時に人は悟りを得ます。ディヴァインソウルプログラムはその究極の人生の目的を達成するためのお手伝いをします。