ヴェーダというインドの古い知識によると、自分という意識、自我の事を「ア
ハンカーラ」と言います。本来人は宇宙の根源的な存在である静寂(ブラフ
マン)と同じ存在であり、そこには一切の分離は存在しません。ですが、この
世界のすべてがまるでバラバラのように感じるのはこの「アハンカーラ」が人
の意識の中心にいるためです。アハンカーラは心や感覚器官を通して物事を欲
望し、また嫌悪します。そしてこの二つの動きには終わりがありません。その
為常に物事を判断して、また区別して、また外側に何かを求め続けてしまいま
す。
自分という意識がすべての分離を生み出しているというのが真実です。ですか
ら本当は自分がそこにいなくなればすべては完全です。瞑想の目的の一つはこ
の私という感覚、アハンカーラの支配から離脱することです。その為には心の
動きを止めなければなりません。ですが普通は心の動きを止めるということは
なかなか出来ません。
フリダヤ瞑想では最初から心をコントロールするのではなくて、アハ
ンカーラの支配から逃れる為に即静寂(ブラフマン)の体験を可能にしてい
ます。その為、心は自然に自我の活動から離れて、全く何も求めない完全な静
寂の状態を経験します。
アハンカーラの支配から逃れる為に古代から自我を殺せとか、心を滅止しろ!
とか言われて来ました。これらはすべて自分を消すという事です。確かにそれ
は正しいのですが、実際には簡単には自分を消すことはできません。でも、最
初から即ブラフマンの体験が得られたのなら、ブラフマンはそれ自体で完璧で
しかも深い平安と静寂性を持ち、自我を越えた存在としてありますので、それ
を経験すれば自然に人はアハンカーラ(自我)から自由になります。
一度この自我から自由になる体験をすると段々と僕達は様々な欲望や嫌悪とい
うものから離れていきます。何かを強烈に欲したり、何かをしたくなったり、
何かを強烈に嫌悪するという事がなくなります。
好き、嫌いというのはあくまでエゴ(自我)の行う作業であって、静寂(ブ
ラフマン)の視点から見れば何も嫌いでも好きでもありません。ただすべてを
見ている、それだけです。
色々な事にもっとフラットに平然と関わるようになります。そして、結局の
所、すべての外界の出来事に対して興味がないという態度を取るようになりま
す。深い平安に満ちて毎日を過ごしていると外側の出来事や他人の行いや発言
にもさほど興味を示さなくなるのは自然な変化です。
アハンカーラの支配から抜け出し、自ら静寂(ブラフマン)であるという知
ることが真の啓発であり、悟りです。その為には自我の欲望が無くなる必要が
あります。